那須湯本の民宿街にひっそり佇む「那須温泉 昔語り館」。
昔語り館には、館長である阿久津靖彦さんが集めた写真や資料はもちろん、写真収集家の方たちに提供していただいた品々が飾られています。
阿久津さんは、どうして写真の収集を始めたのか、そしてこの施設を作ったのか、お話を聞いてみました。
おばあちゃんっ子だった阿久津さん
ーーどうして昔語り館を開こうと思ったのですか?
私はおばあちゃんっ子で、おばちゃんが98歳になるまで一緒に過ごしていました。
ある日、近所の方に昔の写真をいただいたのですが、その時におばあちゃんが、写真を見ながら「こうだった、ああだった」と色んな話をしてくれたんです。
1枚の写真を見て、昔の那須の景色が思い浮かんだようで、たった1枚の写真を見て話し出したおばあちゃんの話がとても面白かったんですよね。
だから、もっと話を聞きたい、もっと話させてあげたいと思って、収集家や写真家の方たちにお願いして写真を数枚集めました。
初めは自分で収集しようとは思っていなかったので。
写真をもらって、おばあちゃんや叔父叔母に見せたところ、みんなその時の話をたくさんしてくれて、これは面白いなと思ったんです。
実は那須温泉は、戦時中の昭和20年に一度全焼してしまっています。
私自身も、その前の那須の景色にとても興味がありました。
写真を見せれば見せるほど、おばあちゃんが喜ぶし、昔の面白い話が聞ける。
自分でなんとか収集できないものかと思って、20代の後半あたりから写真の収集を始めました。
火の海に消えた那須温泉
ーー那須温泉のことについて詳しく教えていただいてもよろしいですか?
第二次世界大戦の終戦間際、1945年(昭和20年)8月1日、新潟方面に向かって那須の上空をB29が30~40機飛んだそうです。
それで皆が一斉に逃げ、照明用のろうそくが原因とされていますが、一晩にして温泉街が全焼してしまいました。
みんな何も持たずに急いで逃げたので、当時の生写真が1枚として残っていません。
地元に住んでいる人たちが撮った写真は、その時全て燃えてしまったので、全く残っていないのです。
ただ、那須は観光名所として有名で温泉の名所でもあったので、お土産用に作られていた1000種類の絵葉書が、日本全国にてんでんばらばらに散らばっていたのです。
日本全国から那須のお湯に入りに来ていた人たちが大勢いました。
その人たちの子孫が遺品整理をする時に、「こんなものが出てきた」と言って売りに出して、東京神田の神保町の古本屋やオークションにも那須の絵葉書が出てきていたんです。
絵葉書の収集と昔語り館の開館
ーー全国にばらばらに散らばった絵葉書を一枚一枚集めたのですか?
そうなんです。
ただその頃、古本屋では、常連客でないと相手にされなくて。
たまに、古本屋のオークションに那須の絵葉書を出していることがあって、しょっちゅう落札していました。
そうすると、よく買ってくれるというので「言い値で買っていただけるのであればお売りしましょうか?」と個人的にお店から連絡が来るようになったんです。
古本屋からも収集できるようになったので、1000種類ある絵葉書の中で450~500種類くらいは手に入れました。
ーーそんなにたくさん…!相当大変だったのではないでしょうか…
私と同じような収集家さんたちが那須にもたくさんいたのですが、誰にも見せることなく途中で終わってしまっています。
それではもったいないですよね。
私は那須が好きだったし、「みんなに那須はこんなにすごかったんだよ」と伝えたい。
そして私には、おばあちゃんから聞いたたくさんの話がある。
その話を交えて絵葉書を展示してみたら良いのではないかと思って昔語り館を開きました。
ただ見せるだけだと「こういう建物があったんだね」で終わりになってしまいます。
でも、私がおばあちゃんから聞いた那須の昔語りを話すことで、昔の情景がどんどん浮かんできて、那須の凄さが伝わるかなと思ったんです。
阿久津さんの夢
ーー今は見られない那須温泉の街並みを、こうして後世に伝えられる昔語り館の存在は大きいですよね。何か、阿久津さんがこれからやってみたいことなどはありますか?
那須の1000種類の絵葉書には、全てのお宿屋さんの正面玄関から撮った写真があります。
私の最終的な夢は、それを元にしてバーチャルな世界を作ることです。
VRでその中を歩いたり、ミニチュアでジオラマのようにしたり、そういうことが可能になるかもしれません。
ーー少年のように目を輝かせて話をしてくれた阿久津さん。阿久津さんの話を聞いていると、当時の情景が目の前に浮かんでくるようで本当に不思議でした。那須温泉についての詳しい話はこちらの記事にまとめていますので、ぜひご覧ください。
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